2009年8月23日日曜日

8話は、単発ドラマとしてなりたっていた

kyokoです。


何度も思い出して、家人とも話して違和感に気づきました。

8話は、かなりの部分、単発ドラマで成り立つ。2時間。
チンピラ上がりで足を洗ったけど普通の会社は雇ってくれない。
それでいやいやヘルパーの仕事を始めた連中。

そこに、8話の事件が起きたら、それだけで十分。

もう、総長の組長選抜とか、どうでもいいじゃないですか。

それ、すでに、ヘルパーやってる組長たちのモチベーション、へたれてます。
みんなヘルパーに目覚めちゃって。
メガネくん一人にモチベーションを背負わせるのは無理。

『セーラー服と機関銃』は、ちゃんとやくざの始末をいろんな意味でつけた。

このドラマ、最後にやくざの始末をどうつけるんでしょう。
やくざがやくざである限り、彦一やりこがどんなにいいことをしようとも、
世の中のくずです。やくざは殲滅しなければいけない。いろんな意味で。

やくざの美学なんぞを、どう処理するか。あと3話でできるのか。
総長?(松平健)が、どんな秘策を持っているのか。

今回のドラマは、2時間スペシャルの単発でよかったなあ。

やくざは、生き残ってはいけません。
殲滅すべし。
いろんな意味で。
一人残らず。

でなけりゃ、どんなにいいことしたって、このドラマの着地点は間違っています。

そこをどうしてくれるか、来週も楽しみに見ます。

2009年8月22日土曜日

第8回 ドラマを見た気がします

kyokoです。

文句も言わず、ただ黙々となんとか毎回みております。以下、わたくしの個人的なつぶやきです。って、いつもそうですが。

今週木曜、バレーボールで時間か押した回、初めてちょっと「これ、ドラマじゃん」と思いました。

やくざと介護のあんばいが、今までどうしてもピンと来なかったし、それ以前に、クサナギツヨシにも魅力を感じなかったし、ゲストの使い方ももったいないなあ、と思っていました。そして脚本にはいつもがっかりしていました。

そもそも始まる直前まで「ちょっとコメディ」と謳っておきながら、始まってみればシリアス。毎回撮って出しらしいスケジュール。こんな状態でいいものが作れるわけがない。一回目は紹介編、と思って見たけれど、二回目からのがっかり感は、わたしには切ないほどのものでした。

かなり「作品として」評判がいい、と聞いて、さらにがっかりしました。今のテレビドラマって、これで「すごくいい」なんだ、と。テレビドラマはそこまで落ちているのだな、と。今期、ほかのドラマは一切見ていないので、比べられないのが残念です。ドキュメンタリーやWOWOWの海外ドラマ、映画の方がわたしにはずっと楽しいから、貴重な時間を地上波のテレビドラマに割く気になれません。

でも、第8回は、初めてドラマとして成り立っているなあ、ちょっと感動しちゃったじゃん、でした。感動ではないな。年齢的にいって、わたしはまさに西田尚美の立場。もっと上ですけどね。自分のことははぶきますが、「母のためにいい娘でいたい」「自分の時間をもちたい」の狭間で苦しむ人の気持ちが、西田、そして江波杏子の迫力ある演技で痛いほど、本当に痛く、突き刺さりました。あんな場面が、日本中に、世界中にある。そこに、彦一のような存在はまず、いない。つらいです。お母さんを施設に入れて、まだ罪悪感にさいなまれている西田尚美。小市満太郎みたいな男友達も、たいていはいません。だから、西田尚美はとても恵まれた環境でドラマは終わりました。

母子がいつまでも同じ母子でいたい、という気持ち。でも「自分の人生がほしい」という気持ち。だけど、「ずっと同じ母子のままでいる」のもまた「自分の人生」。自分で選んだ人生。それを、母子二人にわからせてやった彦一。

若年性アルツハイマーになった母、認知症になった祖母を捨てた母、ヘルパー修行をする、幼い息子の切なさ。

この先、しばらく収まっていたやくざ路線がどう出てくるのか心配ですが、「親と子」が大きな柱として立っていくかどうか、最後にどこに着地するのか、心配しながら、最期まで見届けます。

クサナギツヨシ、かっこよかったです。メイサちゃんほかの共演者もいい仕事をしていました。特に、仲里依紗の存在感、「とてもちゃんとした子」が、ある意味このドラマの中心ではないかと思いました。演技はもちろん、役としての存在、彼女からどんな方向、どんな距離にいるかで、ほかの役が輝くのではないか、と。だってこんな子、今希少ですもの。なのに、とってつけたようになってない。彼女は今後、しっかり見届けたい女優さんの一人になりました。

次回も楽しみです。





2009年8月2日日曜日

ドラマ(?)を見ています

kyokoです。

SMAPのコマーシャルは見ていないのですが、今回、ニュースにまでなったのを読んでいて、つくづく、草なぎ剛をはじめとする(yukiさん、微妙にパクッてごめん)SMAPは、たくさんの人を食わせているんだなあ、と感慨を新たにします。

そんな環境にいると、「勝手なこと、好きなこと」なんてできないだろうなあ。たとえば、平和的にレーサーになりたい、とか、酔ってはだかになって騒いだりとか、好きな人と結婚したりとか。あ、これはグループにひとりは可能なのか(そういう理論?)。

ドラマ、見ております。第4回。絶望的な気持ちでパソコンを閉じました。ワンセグで、電源との勝負をしながら録画した小さな画面。画面が小さいから、真実が見えます。

第一回から「もしかして…いや、まさかなあ」と思っていたことが、どうも事実であるようで。それは、

このドラマはどーしよーもない。話がなんにもない。

そして、

草なぎ剛は、うまくない。
草なぎ剛は、相手役を輝かせていない。黒木メイサは勝手に輝いている。
草なぎ剛は、けっこういい男である。
草なぎ剛は、だからといって、必死に追いかけるべき演技者なのだろうか?

このドラマは、わたしにとって分水嶺になるかもしれません。猟奇的な彼女は、ドラマ全体があまりにレベル低く破綻していたので評価外(何様)でしたが、今回は一応ドラマの体は成しています。成しているけれど、レベルは低い。まだ破綻はしていないけれど、破綻するも何も、何を破綻させるのか、破綻させるべきものも見つからない。中身がない。

弱ったな。今までに感じた「何か」を、何も感じない。自分の感覚を信じてここまで来たから、余計に困った。あの『フードファイト』を力業で「作品」にしてしまったクサナギツヨシはどこかに遊びに行っちゃったのかな。ドラマに遊びに来てほしいんだけどなあ。

まさかとは思うけど、去年の股旅まがいの舞台レベルを、このドラマに要求されているのだとしたら、わたしは悲嘆に暮れるしかありません。あの舞台のあまりのひどさに、「舞台裏方こいつら全員、大衆演劇をバカにしてんのか?」と憤然と席を蹴ったあの芝居もどき。悪夢。

悪夢再び。

どうでもいいけど、股旅舞台を見てやくざものを思いつく、とか、それ、まあブレインストーミングの段階では話に出ても、普通「じゃあ本題に」と次に行きませんか、そうですか。で「やくざと一番遠いもので今食いつきのいい話は?」「介護」って、まあ、ひらめきが名作を生み出すこともありますけれど、ああ、つらい。見ているのが。

それでも見るのは、いつかクサナギツヨシが出てくるかもしれないから…。

どこまで夢見る夢子ちゃんなんでしょうか、わたし。





2009年8月1日土曜日

ソフトバンクCM

yukiです。

えーとですね、SMAPの話をします。

ここでSMAPの話をするのはむしろ自分で決めたご法度だったと思う。
でもいいや、どうせドラマはしばらく見てないし。

今日は、ソフトバンク社の「民放一斉CM」を流してました。新聞のラテ欄にまで広告が載ってたぜ。すごいなぁ。

つくづく、SMAPというのは「広告媒体における王者」なんだなぁと思いました。SMAP、っていうか多分マネジャーというかプロデューサーの才覚なんだろうなぁ。

なんか、あのマネジャーというかプロデューサーというのは、こういうやり方がすごく好きよね、というのを最近思います。同業他社の広告に出る、とか、民放横並び、とか、何かを「ジャック」するにしても、かなり広範囲の「異業種」を組み込むとか。

要するに「垣根を越える」ってやつが。

おそらく、業界としてはこの「垣根越え」というのはすんごーーーい偉業なんだろうなぁと思います。多分相当な人脈がないとできないことです。人脈というか・・・今まで積み上げてきた、圧倒的な力関係があってこそ、できてることなんだろうなぁと思います。コンサートで超有名デザイナーをいきなり使ったりとかもあったよねぇ。

でも。

あんまりそういうことに興味がない自分にとっては、今日、60秒の間に、あっちこっちとリモコンでチャンネル変えながらも、

「で、それがなに?」

と思っていたのも事実です。

SMAPって、ただの偉大なるCMタレントなの?
・・・なんか違うと思うんだよなぁ。ていうか、それでいいの?って感じなんだよねー。

クサナギをはじめとして(ここはあえて、ここのブログのタイトルにのっとって、はじめとして、と言わせてください)、それぞれ、けっこう才能あると思うんだけど。ほんとの意味での「エンタテインメント」の。

もちろん、エンタテインメントを運営するに際しても、興行として成立させるためには、なにがしかの資本の力がいることはわかっています。でも、そういう話じゃなくって、役者になろうとする人が本来追っていくべき、役者の作る世界を楽しもうと思う客が本来追っていくべき、「エンターテイナーとしての能力」ってのはあるでしょう?それを、この人たちはちゃんと持っていると思うのに、なんでこうやって、いつまでもいつまでも「広告業界の横紙破り」だけを楽しんでいるのでしょうか。

なんかそこがわかんないんだよなー。

日本は、アメリカから10年遅れてるとかいう話を前によく聞きました。今どうなってんのかわからんけど、でもやっぱ、「アメリカ先行→日本ちょっと遅れて影響」みたいな流れはあるような気がします。

破たんしてみれば、「どうしてこんな無理なローンが成立すると思ってたのか」といぶかしむようなサブプライムローン。破たんしてみれば「どうして車売ってるふりして実は金転がしてただけで成立すると思ってたのか」といぶかしむようなアメリカビッグ3のうち2つの末路。

10年遅れてるんだったらいい先達がいるんだから10年後を見据えりゃいいのに、なんで同じことをやってんだろ?と不思議でならないのです。

モノを売らずに、イメージ売ってるのって正しいの?
放送時間が短い広告が先で、そのあと番組が付いてくる、っていうので、それでいいの?

ほんとに楽しくほんとに面白く、国民に支持されてるドラマ作れてるなら、その時ならそのことにもたいして文句言わなかった。

でも、どうしても今、

「で、それがなんだっていうの?」

そういう感覚が、わたしには抜けきらないのです。